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ヴァラナシ Varanasi in INDIA

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死者の遺灰を流し、輪廻転生を願うガンジス河(ガンガー)。子供の場合は遺体のまま底に沈めるという。そのすぐ横で衣服を河に浸す者、自ら河に入ってガンガーに抱かれようとする者など、さまざまだ。夕方には10数度まで気温の下がるこの時期、みんな震えながら沐浴する。

河から上がってきたヒンドゥ教徒に尋ねてみた。

ガンガーに入ることは重要なことですか。

彼は唇に微笑みを浮かべて力強く頷きながら言った「Most Important」。「母なる河ですから」。

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河沿いには84ものガート(沐浴場)があるという。そのうち半分を歩いてみた。河沿いにずっと歩けるのでそれぞれのガートの建物を見ながら歩くことができる。最も中央にあるのはダシャーシュワメード・ガートで、この地域の最も大きなバザール(商店街)がここから伸びているため、人々の集まってくる数も最も多い。

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日本のテレビや雑誌で見るガンジス河での沐浴風景は、そのシーンはまずここだろうと思われる。

来てみてわたしはガッカリした。想像とあまりにも違ったからだ。観光地化しているせいもあると思うがあまりに賑やかで、厳かさが漂っているわけでも独特な世界がそこに広がっているわけでもなかったからだ。たくさんのヒンドゥ教徒が入れ替わり立ち替わりやって来て沐浴する光景に偽りはないが僧の姿はほとんどなく(時間帯によるかもしれない)、そこに日本のテレビや雑誌で語っているような儀式のような荘厳さや哀愁はない。ヒンドゥ教徒にとってはもちろん神聖な場所であり彼らは厳粛な気持ちで沐浴している。彼らは何十時間もかけてわざわざ聖なる母に抱かれに来るのだから。が、教徒ではないわたしたちに、その気持ちを理解することはできない。理解できない以上、その厳粛さを認識することも難しい。テレビや雑誌に踊らされているだけだ。いや、もともとはあった静粛な雰囲気を、もしかしたらわたちたち観光客が壊してしまっているのかもしれない。

ただ、ネパールのパシュパティナート寺院はここを小型にしたようなもので同じような光景が広がっているがもっと厳粛で静謐な空気が流れているのを感じたことを覚えている。わたしはそこに夜真っ暗になるまで7、8時間も座り込んでいたものだが、ここガンガーでは10分もいたらもう十分だった。少なくともわたしは、ここでは何も感じることがなかった。

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ヴァラナシ・・・標準語のヒンディ語では「ワラナシ」と発音するそうだ。ここへは日本人観光客も多く来るようで、日本食もけっこう食べられることをガイドブックで知っていた。わたしが泊まったホテルから比較的近かったサンディヤ・ゲスト・ハウスへ行ってみる。オーナーの奥さんが日本人で、屋上にレストランがあると書かれていたからだ。行ってみると広島県出身でここで暮らして7年になるという「さやかさん」に会うことができた。とても穏やかで聡明な女性で、かつ親切。宿泊客ではないのに二日続けてお昼ご飯を食べに行ったわたしに、お客さんが置いていったものだけどと言いながらレインコートをくれた。昨夕からずっと雨が降り続いているのに周囲では売っておらず、困っているのを見かねたのだろう。最初に行った日にインドで体調を崩したことを話していたから、体を気遣ってくれもしたのだと思う。おかげでワラナシに着いてからは熱も上がらずに済んでいる。

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今日夕方、鉄道駅の予約センターへ行った。もともとの予定ではワラナシ→ガヤ(ブッダ・ガヤ)→コルカタの予定をガヤをすっ飛ばしてコルカタへ出てインドを脱出しようとしているわたしはまだその鉄道切符が取れていないからである。昨日、ホテルに頼んだら頼んだのと違う切符を買ってきてどうにもならん。さやかさん経由でSL(スリーパー・エアコンなしの3段ベッド)を確保してもらっているが、体のことを考えたらできるだけ2A(エアコン付き車輛の二段ベッド)で向いたい。

だけどけっきょく2Aは取れなかった。仕方ない。わたしのことよりも、カジュラホのホテルから駅までリクシャに同乗したスペイン人カップルが気の毒だった。偶然にも予約センターで再会し、話を聞いたところ、今日夕方の切符がウエイティングリストのまま取れず、その列車にはとうとう乗れず、次の列車にある「ジェネラル」車輛にトライするという。指定席無しのチェア・カーだ。列車が到着した途端に席の争奪戦が激しく始まる。外国人に席を確保するのは絶対に無理。だが彼らはこのあとハイデラバードにまず向かい、そのあとまた列車とバスを乗り継いで、恵まれない子供たちが属するNGO団体のボランティア活動に4日間、参加するのだといい、今夜発の鉄道に乗らなければその先の移動の全てがオジャンになってしまうのだ。

でも彼らは最後まで笑顔で「またいつかどこかで会えるよね」と微笑み、しかもわたしの体調のことを覚えていて気遣ってくれた。本当なら、彼らはわたしの体のことどころではないはず。絶対に横になることはおろか座ることさえできないであろう列車に、これから10時間以上揺られていくのだから。

わたしもいついかなる時でも彼らのように、心に余裕を持って人を気遣えるような人間でありたい(もとい、なりたい)。


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by yukaashiya | 2013-02-16 23:00 | インド編


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