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世界遺産シントラの街のムーア城跡

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リスボンから鉄道で40分のシントラの街にはいくつもの歴史ある宮殿や屋敷などがあるが、ここでもう1つ紹介しておきたいのは「ムーアの城跡」だ。城へ上る坂には紀元前5000年前にすでに新石器時代の村落が存在していたらしい。ムーア人(イスラム教徒)がイベリア半島に侵入してポルトガルやスペインを征服したのが8世紀で、この城は10世紀に建造されたらしい。

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この城でのイスラム・ルールが終了したのはポルトガルが建国したのちの1147年。レコンキスタ(キリスト教徒がイベリア半島を奪い返す運動)のまださなかのことであった。

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行った日はとても風が強く、城壁にしっかりと残っている道を歩いていると何度もふらつきそうになった。その高さも含めて、数年前に訪れたスリランカの「シギリヤ・ロック」を思い出した。行ったことのある人ならその高さと怖さを理解してもらえると思う。さらにいうなら、ここの城壁は場所によっては大きな岩の上に作られている部分があるからなお怖いのだ。

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それにしても道はまるで小さな万里の長城のようで、これほどしっかり残っているとは驚きだった。日本から持って行ったガイドブックには「わずかに残る城壁」と書かれていたからである。ちなみにそのガイドブックに書かれていた説明はほとんどが間違っており、昨日書いたレガレイラ屋敷の建築様式なども間違って記されていた。よく感じることだが、ガイドブックは参考にするに留めておき、ちゃんと知りたいことは自分で現地で調べよう。

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ここに上るとシントラの街が見渡せるし、セントラルにあるシントラ王宮や、

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この城跡から比較的近くにある「ペーナ宮殿」も視界に収めることができる。

おっと、ムーア城跡の周辺には、大きな岩が斜面も含めてたくさん転がっている。似たような光景をインド各地で何度も目にしたが、その岩々はまるで天から降ってきたような不思議な錯覚を覚えさせる。それも1つの見所と言っていいかもしれない。
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by yukaashiya | 2015-01-31 08:40 | ポルトガル生活編 | Comments(0)

遊び心の溢れたシントラのレガレイラ屋敷

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リスボンから鉄道で40分のシントラは、世界遺産の文化的景観に登録されている歴史ある街だ。いくつもの名所旧跡があるが、そのなかで最も「おもしろかった」のはレガレイラ屋敷だった。日本のガイドブックには「レガレイラ宮殿」と記されているが、当地のパンフレットでは「Quinta」と表現されており、家主のレイチェルに尋ねるとこれは「郊外の広い敷地を持った大きな家」とのことだった。ちなみにポルトガル語で宮殿はパラシオ「Palacio」と言う。

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建物の写真に魅かれて行ったのだが、入場料(€6)を払ってパンフをもらい驚いたのは、広い庭の地図がドンと載っていたからである。それを見ているとここはどうも「ふつうの庭」ではないようで、しばし歩き回ってみることにした。

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日本のガイドブックにはこの屋敷の始まりは「12世紀に築かれた王族の別邸」とされているが、公式パンフには「1697年以降」のことしか書かれていない。それ以前のことははっきりしたことが判明していないらしい(日本のガイドブックは何を参考に書かれているのだろうか)。またこの屋敷が大きく変化を遂げていくのは、レガレイラ男爵夫人がここを購入してからのことらしい。その後もこの屋敷は所有者が3人変わっているのだが、なんとその1人に「青木」という名の日本の会社名が入っている。それが1987年のことで、1995年にここを含むシントラが世界遺産に登録され、1997年にはシントラの自治体がここを買い取ったようだ。

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もっともここの建物や荘園が改装されたのは1800年代後半から1900年代半ばの持ち主によってで、特におもしろい荘園は1800年代末からデザイン・改築されだしたらしい。この彫刻は庭に美しく建つ教会の外壁に飾られているもので、これを見ただけで建築者の「遊び心」が分かろうというものだ。ただそれは、想像をはるかに超えるものだった。というのも、この荘園で「冒険」を楽しめるからである。

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山の斜面を生かして作られた庭は神話に登場する神々の像や噴水、テニスコートなどもふつうにあるのだが、まず何カ所にもこういう塔が建っているうえ、至る所に「洞窟」があるのだ。

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井戸かと思って覗いたこれは、実は螺旋階段になっていて、何mあるのかずっと地下まで歩いて下りられる。その入り口は、この井戸にはなく、背後にある。

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コケで覆われたようなここはうっかり通り過ぎてしまいそうだが、実は「秘密の塔」だ。

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深さは約27m。

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しかもスパイラルを描く階段は美しく創られているうえ、あとで知ったことだが別の通路に地下深くで繋がっているのだった。

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たとえば坂を下って来たここ。中央部分から中へ進むと洞窟になっており、その洞窟とも繋がっているし、

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さらに坂を下って行くと滝の流れる小さな池があるのだが、写真の中央に見える男性が立っている場所へも地下通路で繋がっているのである。

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地上から池へ行くと、その男性が立っている場所へは行けない。「秘密の地下通路」を通ってしか行けないのである。わたしもそこに立ってみたかったが真っ暗な洞窟を歩いて行く勇気がなく、指をくわえて見ているしかなかった(笑)。ちなみに地下通路は、ほかの場所とも繋がっている。

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こんなアドベンチャー・ワールドが個人の邸宅の庭に広がっているなんて、欧州でも数少ない例だろう。屋敷そのものも素敵だったし初めて目にするような大きな暖炉(扉の高さより大きい!)にも驚いたが、建築士のアイデアやその建築を許可したオーナーの遊び心に感服。2時間以上もここで時間を過ごしてしまったほど楽しかった。「楽しく」「おもしろい」屋敷なんて、そうあるもんじゃないぞ。

*シントラの街への行き方と現地での交通については、旅ブログ「Que Sera Sera」にアップ済み。
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by yukaashiya | 2015-01-30 08:30 | ポルトガル生活編 | Comments(0)

ポルトガルから日本へ伝来したもの

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<ポルトガル情緒溢れるアズレージョ(タイル)の壁画>

大航海時代の1543年、ポルトガルの商人を乗せた船が種子島に漂着したのが、ポルトガルと日本の交流の幕開け。その時に鉄砲が伝来されたことは、誰もが学校で習ったはず。

カステラやコンペイトウも、ポルトガルから来たのは日本人の多くが知るところだ。ところがそれ以外にもあった。たとえば「がんもどき」で、関西では「ひりょうず」と言うのだが、ポルトガルの「フィリョーシュ」が元なのである。そしてなんと、天ぷらも。こちらではやはり「テンプラ」で、そもそも温度のことを「テンプラテゥーラ」と言うらしい。

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<リスボンの自然食品のスーパーマーケットで売られていた天ぷら>

言葉なら、まだまだある。ボタンやタバコ、パン、カルタ、コップもポルトガル語から来ているらしい。ポルトガルではカルタはやはりカード・ゲームだそうだ。

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焼き栗はどの地が発祥か分からないが、クロアチアの街中でも見られたし、ポルトガルでも売っている。写真のおばさんの前にある釜の蓋を開けると、深さのある底には炭らしきものがあって、どうやらその中で焼かれているようだった。1パック10個ぐらい入っていて、2ユーロ。寒い日にホクホク言いながら食べ歩く栗はとても美味しい。

ちなみに、他の露店のお兄さんに聞くと栗の皮の色が白くなっているのは塩のせいだと言っていたが、塩の味は全くしない。多分かつがれたんだと思う(笑)。→翌日も買って皮を舐めてみたらしょっぱかった!

焼きぐりは、バルセロナでも売られていた。バルセロナでは焼き芋も売られていて、ちょっと日本への郷愁を覚えた。

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<東南アジアの国々でよく見かけるトゥクトゥク。欧州で見たのはポルトガルが初めてだ>
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by yukaashiya | 2015-01-28 08:43 | ポルトガル生活編 | Comments(0)

それでも彼女はペルーへ行く

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(リスボン・ベレン地区にあるジェロニモス修道院。刺繍を連想させるようなファサードを目にした時、イタリア・ミラノのミラノ大聖堂を思い出した)

リスボンで暮らしている家には、映画プロデューサーのレイチェルとその恋人である映画記者のルイが暮らしている。ルイは自分のテレビ番組をレギュラーで持ち、新聞に毎日コラムを掲載しているほどのフリー記者で、これまで取材した相手の俳優との写真を見せてもらうと、そこにはケヴィン・コスナーやダスティン・ホフマン、サラ・ジェシカ・パーカー、エマ・トンプソン、レオナルド・ディカプリオ、ジョニー・デップ、ボン・ジョビ、ベネディクト・カンバーバッチなど、外国人の名前をなかなか覚えられないわたしでも知っている俳優の名前がズラリと並んでいた。

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(教会部分の東棟は16世紀、それ以外の西棟は19世紀に建造されたそうだ)

レイチェルはローマの大学でMBAを取得し、5カ国語を話せる才女。ドキュメンタリーなども撮っており、4月後半にはペルーの山へ撮影に行くのだという。ボリビアに近い標高5500mの山で、昨年下見に行った時の気温はマイナス30度だったそうだ。それだけでも危険なのに、当地には我々が理解できない思考を持つ人々が暮らしているらしい。

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(内部も壮麗で、来た甲斐があったと思わせる造りだ)

たとえば、あまりの寒さに目出し帽をかぶったスタッフがいたとする。それを見たある現地人(部族?)は彼に向って「殺すぞ」と発言したそうだ。行動あるいは言動の全てのことが現地の人の「殺す」理由となり得るらしく、それを手探りの状態で確認しながらするインタビューは内容も言葉にもすごく気を遣わなくてはならないらしい。

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(柱や天井の彫刻も見事である)

そして最もゾッとしたのは、現地の人が放ったという「白人の心臓を持って行けばヤギに交換してもらえるんだ」という言葉。わたしはそれを聞いて「そんなところへは行っちゃダメだよ」と何度も言った。だが彼女には彼女の考え方や生き方がある。レイチェルは「身の危険を本当に感じたら帰ってくる。だけど、わたしたちはそういう思考や文化、生活を持つ人々のことを取材して世の中に伝えたい目的を強く持っているの」と瞳を真っすぐに向けてきっぱりと言い切った。

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(安置されているヴァスコ・ダ・ガマの棺)

考えると、ポルトガルの探検家ヴァスコ・ダ・ガマの存在だって、彼がいたからこそ当時インド航路が発見され、ブラジルの発見もありそれが現代のポルトガルとブラジルとの友好関係にも繋がっている。

たとえそこに危険があろうとも誰かが足を踏み入れて取材・報告しなければ、世の中は全く知識のない空虚な世界が広がってしまう。だからたとえば後藤健二さんのような勇気ある記者の存在は、とても貴重な存在であるのだ。

どうか、後藤さんが無事に帰国できますように。

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by yukaashiya | 2015-01-27 09:02 | ポルトガル生活編 | Comments(0)

ポルトガルとブラジルの関係に思うこと

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(リスボン・ベレン地区にある「発見のモニュメント」。帆船をモチーフにし、エンリケ航海王子や天文学者、宣教師、地理学者などが彫刻されている)

ロンドンで毎年のように感じるのは、アメリカを始めとするかつての植民地や支配下にあった国々との友好関係の良さ。特に英国と米国はいまや、おそらく世界で最も強固な絆で結ばれている同盟国だろう。それはさておいても、英国連邦の加盟国の多さも、英国がいかに各国と友好関係を結んでいるかが窺いしれる。

他の国々もかつての植民地や支配下にあった国々とおおむね良好な関係を築き続けているところが多い。ただ、たとえばポルトガルとスペインの関係でみると1580年からポルトガルはスペイン領に置かれた60年間があり、それがいまでも影響しているのかポルトガルとスペインは“ライバル”関係にあるという。かといってイベリア半島に何か起きるようなことがあれば協力し合う同志でもあるそうだ。

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(テージョ川にかかる「4月25日橋」、そして右手に見えるのは高さ110mのイエス・キリスト像)

リスボンでの家主のレイチェルと話していると、ブラジルやブラジル人の話が時折飛び出してくる。ブラジルはかつて300年に渡ってポルトガルの植民地だったが、約200年前に独立。それでも現在も国民同士の往来や文化交流が多いんだそうだ。

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(キリスト像「クリスト・レイはブラジルのリオ・デ・ジャネイロにある有名なキリスト像を模して創られたもの。ここにもまた、ポルトガルとブラジルの良い関係が垣間みれる)

日本と中国・韓国はなぜ他の国々のように仲良くできないのだろう。昨年ロンドンで知り合った北朝鮮人が「中国や韓国だけでなく、アジアには日本に恨みを抱いている人がけっこういる」と言っていた。戦時に統治した国や支配下に置いたことのある国の人々のことだろう。いっぽう日本人には同じアジア圏でありながらいち早く経済大国にのし上がった自負からかアジア人をどこかしら見下している節がある人がいる。

ほかの国々のようにお互いに認め合えれば、同じ目線の高さで語り合うことができれば、アジアは1つの共同体のようなものとしてもっと発展していけるんじゃないだろうか。

ちなみに、イギリスとフランスも歴史上のことから仲が悪いと言われて久しいし実際そのようだがその反面、互いをおおいに認め合ってもいるし、憧れを抱く面もそれぞれにあると聞く。そうしたことは、実際にその国の国民として生まれ育たないとその微妙な感情を肌で感じることは難しいだろう。それでも、英国とフランスやポルトガルとスペインなどのように、相手(国)の存在が「ライバル」であるということは「相手の力を認めている」ことにすなわち通ずるからおもしろい。
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by yukaashiya | 2015-01-26 10:43 | ポルトガル生活編 | Comments(0)

リスボンを襲った巨大地震と津波

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リスボンで暮らしている家から歩いてすぐのところにコメルシオという広場がある。開放感のある広場に美しいアーチや政府の機関として使われている建物が太陽に燦々と輝いて、ここが巨大な地震と大津波に襲われたエリアだとはにわかに信じがたいほどだ。

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広場に建つ騎馬像(ドン・ジョゼ1世)の向こうに水面が広がっているのが写真でも分かるだろう。これは入り江と勘違いしてしまいそうなほど幅の広いテージョ川で、流れる先は大西洋らしい。

時代は1755年11月1日、M9クラスの地震がリスボンのこの地域を襲った。海から押し寄せた津波は15mの高さで街を呑み込み破壊し、この広場のあたりに建っていた宮殿も跡形もなく消えたという。朝9時半という時刻ゆえ火災も多く発生し、3日間も街が燃え続けたそうだ。

9000棟もの建物が倒壊し、街の85%が焼失。亡くなった人は資料によって6万人とも9万人とも書かれている。ちなみに他の街では30mの津波が押し寄せた地域もあったらしい。統率力と行動力のあるポンパル公爵によって街はその後、見事に再建した。現代のように便利なもののない260年も前によくぞ再建したものだと、美しく整った広場や周辺を見ていて感心する。

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これは映画のシーンなどでよく使われる地域のケーブル・カー(ビッカ線)。この高台からでもテージョ川が海のように見える。凪いだ水面が現在の街の穏やかさを伝えてくるようだ。

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阪神大震災から今年でちょうど20年。被災した人の孤独死が増えているという。東日本大震災からは間もなく4年、特に福島の復興は遅々としている。どうしたニッポン。
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by yukaashiya | 2015-01-24 08:11 | ポルトガル生活編 | Comments(0)

日本を愛してくれたモラエス

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単なる旅も含めてわたしはちょうど40カ国を訪れたことがあるが、リスボンほど坂が多くてきつい国はそうないと思われる。ほど、坂が多い。日本の政治や文化を自国のポルトの新聞で紹介し続けてくれた軍人であり作家でもあったヴェンセスラウ・デ・ソウザ・モラエスの生家は、やはりきつい坂を上っていった上にある。とてもじゃないが歩くには厳しくて、ケーブルカー(ラヴラ線)を利用した。

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相当古くから走っていそうなケーブル・カーは外観を落書きされて情緒が失われていたものの、内部はきちんと手入れされ、歴史を感じさせるものだった。石畳みの急な坂をガタゴト上っていくさまは、実に風情がある。

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乗り込んで運転手に「モラエスの生家へ行くのはこのケーブル・カーでいいのか」と聞くと、彼はその名を知らないようだった。たまたま席を隣り合わせた男性がモラエスのことを知識の片隅に持っていたようで、降車してから道順を教えてくれた・・・道は間違えていたのですごく遠回りしちゃったけど(笑)、親切には感謝しよう。

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これがモラエスの生家。モラエスのことは中学の頃に習ったような記憶がある。あらためてざっくり調べると、リスボンで生まれて海軍士官としてマカオに赴任したあと1899年に来日(最初の来日は1889年らしい)して神戸にできた領事館に勤務、徳島出身の芸者「福本ヨネ」と同棲を始めた。彼女をよほど愛していたのだろう。1912年に彼女が死ぬと彼女の故郷・徳島へ渡るが、のち一緒に暮らし出した彼女の姪・斎藤コハルにも先立たれてしまったという。晩年は生活が苦しく、日本を外国へ紹介してくれた文筆家でもあったというのに、日本人はそんな彼を西洋乞食と蔑むこともあったそうだ。彼はそんななか、孤独のうちに亡くなったという。

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彼の生家はいまでは古びたアパートで、玄関の上に日本語とポルトガル語による碑文がポルトガルらしくアズレージョ(タイルの一種)に書かれてはめ込まれている。

「ポルトガル海軍士官にて作家たりしヴェンセスラウ・ジョゼ・デ・ソーザ・モラエス(1854〜1929)が生まれ育ちたるはこの家なり、
長き歳月を愛する日本に過ごしたる彼は祖国に思いをはせつつ、かの地に死せり。
                          日本国 宇留野清華言」

帰国したら彼の作品の1つである「おヨネとコハル」を読んでみよう。
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by yukaashiya | 2015-01-23 09:38 | ポルトガル生活編 | Comments(0)

リスボンの物価

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リスボンでの家主レイチェルはインテリジェンスである一方ホスピタリティに溢れる女性で、わたしが到着した初日は一緒に街を歩いて案内してくれた。いままでいろんな国のいろんな家に滞在してきて地図をくれたりするケースはけっこうあったけど、こういうパターンは初めてである。交通カードの買い方から街中にあるエレベータのこと、数件のスーパーマーケットも教えてくれ、そのあとカフェでお茶しながらリスボンのことをいろいろ話してくれた。

彼女お勧めのスーパーマーケットで美味しそうなミート料理があり、それを見ているとレイチェルは3人分を買って、次の日の夜にわたしをディナーに招待してくれた。右奥の肉料理がスーパーで買ったミートの、オーブンで焼き上がったものである。

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焼く前はこんな感じ。幅10cm、奥行き5cm、高さも5cmぐらいで、周囲を油で巻き上げそれをヒモで縛ってある。上部には香草などが乗っていて、なんだかクリスマス料理の1つに出て来ても良さそうな楽しい雰囲気。これがなんと、1つあたり約€2(実際にはkg換算なので1つひとつ値段が違う)!! 

メチャクチャ美味しかったので今日も買ってきたのだが、同時に100g程度の大きさのステーキがあったのでそれも購入。欧州ではお肉屋さんなら切り売りしてくれるが100gというとたいがい「えっ」という顔をされるし(笑)、スーパーの棚売りではそんな小さなサイズはまず買えない。どころか、絶対に食べきれない量でしか売られていない。わたしには一食あたり100gで十分だし、その日の分だけ新鮮な状態で欲しい。今日買ったそのステーキ肉はガーリックで味付けがしてあるもので、一枚を所望しその値段を見てびっくり。だって€1しなかったんだもの。

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(焼き上がった状態)

そういやカフェなども安い。レイチェルと2人で入ったカフェで、カフェラテとコーヒー、スイーツとチョコ・デニッシュを頼んで5.5ユーロ。ケバブのお店では3ユーロからメニューがある。パンは胡麻をまぶした長さ20cmほどのバタールで1本30セント、20cm×10cmの大きさのクリーム入り&アップル・スライスが載ったデニッシュで1ユーロ。とにかく安い。ただしタバコはスペインと同じ程度で、マルボロで4.5ユーロだった。

ところで、こうして各国の物価をブログで紹介しているが、しながらちょっとジレンマに陥っている。なぜなら為替レートは現地の人には関係ないからで、たとえば4.5ユーロのタバコは、現在のレートだと日本人にとっては620円だが、現地の人にとっては450円の感覚だからである。もっとも2年前の為替レートだと日本円でも450円だったわけで、為替は変動するものであるだけに、為替レートによる換算結果をすなわち「物価」と呼んでいいものかどうか、はなはだ悩むところなのだ。もちろん、同じユーロ圏の国同士なら比較は容易である。

ちなみに、わたしのこれまでの経験と感覚からすると、
1アメリカ・ドルは100円
1イギリス・ポンドは130円、
1ユーロは100円ぐらいの時が、
日本の物価と対比させて同等の価値ぐらいになると思われる。つまりこの程度の為替レートだったら、どちらの国が高いか安いかを比較できるんじゃないだろうか。
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by yukaashiya | 2015-01-21 06:04 | ポルトガル生活編 | Comments(4)

ウオッカとの蜜月

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リスボンのレイチェルとルイの家ではネコを飼っている。14歳になるオスで、名をウオッカという。昔、両親の家で飼っていたネコの「トラ」と生き写しのように似ていて、こういう毛並みのネコはトラやらウオッカやら「強い」イメージの名前をつけられるんだなあと妙におかしかった。

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木曜から今夜までレイチェルとルイは2人揃って仕事でパリに行っており、その間、ブラジルから来た彼らの友人カップルが泊まりにきていたのだが、なぜだかウオッカはやけにわたしに懐いてしまい、わたしが家にいるあいだはほとんど離れないような状態だった。キッチンへ向う時など廊下を歩いていると、競争でもしているつもりなのかわたしの横からわたしを追い抜いて歩いているわたしの前へ出るもんだから、何度踏んづけそうになったことか。

わたしがビックリすると、ウオッカもびっくりして「ニャオン」とつぶやく。

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「ネコはコタツで丸くなる」という日本の童謡があるが、確かにネコは温かいところが好き。わたしの部屋へやってきては、オイル・ヒーターの下に前足を差し込んで暖を取る。その姿をとても愛らしく感じられていたものだが・・・

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ウオッカは、両足まで入れこむ器用さも持ち合わせているらしい。

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(大きなイノシシのぬいぐるみと同化しているウオッカ)
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by yukaashiya | 2015-01-20 08:01 | ポルトガル生活編 | Comments(0)

リスボンでの家

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リスボンでの家は市内中心部のサント・アントニオ教会のすぐ近く(といえば、リスボンに来たことがある人に分かる場所)。古くからの情緒ある建物が多い、観光地の近くでありながら住宅街でもあるという便利なエリアだ。アパートそのものは建って100年ぐらいの趣があり、ポルトガルらしいタイルが玄関ホールを飾っている。木製の階段を上がって行き、2階(日本式の3階)にわたしの暮らす家がある。

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家主のレイチェル(女性)とルイ(男性)は恋人同士で、一緒に住んで2年になるそうだ。2寝室あるうちの1寝室を提供してくれたのだが、部屋は少なくとも12畳以上ありそうな大きさだ。そこにダブルベッドや中国製のアンティーク・キャビネット、デスクや本棚、備え付けのワードローブなどがあり、快適な生活を送れそうである。

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しかもこの家、寝室2つに対して広めのバスルームも2つあり、1つをわたし専用で使っていいという。そのうえレイチェルらはセンスが良く、こういう装飾をバスルームにまでしてくれていた。

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(ちょっとした置物にも彼らのセンスが窺える)

家にはこの他に20畳以上ありそうなリビングと12畳ぐらいありそうなキッチンがある。その大きさでこのあたりでの家賃は1000〜1500ユーロらしい。ロンドンやパリに比べるととってもリーズナブルだが、郊外へ行くとさらにその半額ぐらいになるらしい。それがおそらく標準の家賃で、レイチェルとルイはけっこうな所得があるからこの家で暮らせているようだ。スタイリッシュな2人の仕事は映画関係で、レイチェルは映画プロデューサー、ルイはライターなどをしているらしい。2人ともフリーランスで、木曜から月曜まで仕事でパリに行っている。

リスボンでの4週間、彼らからいい刺激をもらえそうである。

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(寝室のデスク・コーナー)
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by yukaashiya | 2015-01-19 08:03 | ポルトガル生活編 | Comments(0)