カテゴリ:インド編( 50 )

インド人

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(ヴァラナシのアッシーガートで演奏していたインド人)

インドにハマる人がいるという。その理由を、わたしは二ヶ月回っても理解できなかった。

インドは日本の雑誌やガイドブック、テレビなどで紹介されているような「神秘的な国」ではなく、とても「現実的な国」だ。しかも、経済発展が著しいだけに頑張りたい人には果てしないチャンスが広がっている一方、怠惰に暮らそうと思えばいくらでも怠惰な生活をしても生きていける。だからだろうか。

マリファナは、簡単に手に入るようである。それが目的でインドへ行く人もけっこういるという。愚かなことだ。

瞑想の世界へ入り込みたい人もけっこういるようだ。それはわたしには理解できないことだけど、そういう世界を深く知りたいという人の思いを否定する気はない。


インドはまだまだすごく不衛生だ。水然り、街中に然り、ものの扱い方に然り、全てにおいて不衛生といっていいかもしれない。インド人はこの環境でよく生きているなあと、周遊しながら心底感じた。道中で平均寿命が65、6歳と聞いて納得した。

わたしはもう二度とインドへ行くことはないだろう。体調をひどく崩したせいもあるが、それ以前に1週間目ぐらいの時、引き上げることを考えた経緯がある。でもその時すでにもう二度と来ることはないだろうとも思ったから、最後まで頑張って回ってみようと思った。

家族も友人も、「また行きたいと行ったら引き止めるからね」と言った。わたしは「行けと言われても行けない」と笑って返した。正直な気持ちである。


ただ、これだけは言える。インド人は本当に親切で温和で優しかった。それは旅の途中に出会った日本人みんなが口にしていたことだ。ガイドブック「C」を読んで行くとどんな危険なことが起きるか分からない恐怖にかられてしまうしその緊張感はわたしたち旅人を精神的にとても疲れさせる。が、旅人はみんな異口同音、「ほんと、僕たちもどんな怖い国かと思いながら来ました。でも全然違った」と言っていた。

スリに合った人は、お金を裸でポケットに入れる人たち。列車で鞄を盗まれるかもしれないのは、どんな国でもあること。旅行会社で吹っかけられたことに気づかず支払ってしまうのは自分の調査不足。多くが、個人の自己管理能力のなさによるものだ。そんなことでインド人への印象を悪くして欲しくない、そんなことさえ考えてしまうほど、インド人の国民性はいい。インドへ旅行を考えている人は、安心してインド人と接して欲しい。どんなに貧しい人々でも、多くの日本人よりも心は豊かである。

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by yukaashiya | 2013-03-01 17:37 | インド編 | Comments(0)

インド人の不思議

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インドはいま経済発展の勢いに乗っている。とはいえ、その経済発展に伴う貧富の差は広がるいっぽうで、貧しい人々はとことん貧しい。ホームレスも多く、日本とは違って家族ぐるみでのホームレスも少なくない。上の写真は海岸での土産物売りだが、こんなふうにテントを張って暮らしている家族がけっこういるのだ。

コルカタでは歩道にテントを張り、近くにある井戸の水を使って洗濯や炊事をし、歩道沿いに置いた練炭で食事を作っている家族をたくさん見た。ほかの地域でも、たとえば小さな公園に数家族がテントを張って暮らしている様子をいくどとなく目にしてきた。

不思議なのは、彼らがみな楽しそうに暮らしていることだ。仕事も収入もなく路上で生活しているのに、家族や友人らが集まって昼の日中から楽しそうに談笑しているんである。もうひとつ不思議なのは、日本のホームレスたちと違って、彼らは水で体を清めているので臭いがしないことだ。臭いと感じたホームレスは一人もいなかった。

笑って暮らせるのは、寄付があたりまえにある国だからかもしれない。欧州でもそういう光景は目にしてきたが、受け皿に入っている寄付金(コイン)の量が違う。最低日給の人の分ぐらいは物乞いで暮らしていけているんじゃないだろうか。あるインド人は、「僕らサラリーマンよりよっぽどお金を持っている人もいる」とため息をついていた。

そしてもうひとつ不思議なことは、バラックとしかいえないような家に住んでいる人たちもホームレス家族たちも、みんなそれなりの服装をしていることだ。女性は綺麗にサリーをまとっている。サリーはほとんどがオーダーメイド。それを彼女らはきちんと美しく身にまとっているのである。

彼らから受ける印象に悲壮感はなく、穏やかで平和な笑顔がわたしたち日本人とは暮らしに求めていることの違いを感じさせた。
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by yukaashiya | 2013-02-28 23:15 | インド編 | Comments(0)

仏教が生まれたインドで仏教が衰退していったワケ

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宗教の話は、海外ではしにくい。特にアジアや中近東ではとても生活に密着しているものだからだ。そのレベルは、おそらくわたしたち日本人には想像できないだろう。それだけに、こちらから宗教の話を持ち出すのははばかられる。ただ、相手から話を持ち出された時は別である。

インド人は、ほとんどがヒンドゥ教徒。その数、80%以上に上るという。ヒンドゥ教と同じくインドで生まれた仏教の教徒は1%に満たない。それだけに、宗教の話題を振って来るインド人はほとんどがヒンドゥ教徒である。

その人たちのなかでも冷静に分析できていそうな数人に、なぜ仏教は衰退していったのかを尋ねてみた。さまざまな回答があったが、それらをわたしなりにまとめて簡単に説明するなら、悟りを開いた仏陀は人間だったからということに尽きるような気がする(釈迦族の元王子)。あるインド人が言った「仏陀は神仏ではなく、王のような存在だった」。

「仏陀は小さな幸せをたくさんくれた。ただ、ヒンドゥ教によって我々インド人は目覚めた。ルールなどを統一して、もっともっと大きな幸せを掴みたい、そう願ったのです・・・いまも変わっていませんが(笑)」

「人間」には限界がある。「神」にはそれがない。だからだろうか。

ヒンドゥ教において、仏陀はヒンドゥ教の神の一人(あとはブラフマー神とシヴァ神)、ヴィシュヌ神の9番目の権化とされている。つまり彼らにとって仏陀は、やはり「神」そのものではなかったというわけだ。


また、あるヒンドゥ教徒のインド人はこう言った。

「わたしたちには“オーム”という神聖視されている呪文があります。全ての感謝は神へという思いを込めて祈ります。その気持ちでインド人は幸せを感じるし、それがインド人に幸せを感じさせてもいます」

オーム・・・インドを旅してヒンドゥ教徒らと話をしていると「グル」や「解脱」という言葉が何度も聞かれ、日本のオウム真理教はこれを真似て作った宗教だということが分かったのも興味深かった。
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by yukaashiya | 2013-02-27 23:48 | インド編 | Comments(0)

ろうあ者が活躍できるケンタッキー

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コルカタでケンタッキー・フライドチキンを見つけた。ほかの地域にもマクドナルドなどを含めてあったらしいがわたしは見つけられていなかった。見つけられていたら、インド料理レストランばかりでなくそういうところで食事して胃を休められていただろうにと思う。

コルカタで見つけたケンタッキーには3度行った。それほどケンタッキーチキンが食べたかったからではなく、スタッフの働く様子を見たかったからである。そこのケンタッキー・フライドチキンのスタッフはほとんどがろうあ者で、だけど実に立派に接客をこなしている。

客は注文したいメニューを指し、欲しい個数を指を立てて知らせる。スタッフはそれをレジに打ち込んだあと、我々客がしたのと同じようにメニューを指し、個数を指を立てて表示して、客の注文を確認する。仕事は早く確実で、笑顔がまた実にさわやかである。その彼らの姿をたのもしく感じ、3度も食べに行った。生き生きと働いている彼らの姿は、見ているだけで気持ちが良かった。

インドでは外資系の大型チェーンなどが入ってくることに対して国民の反発が多いと聞いた。あくまでもわたしの推測だが、ケンタッキー・フライドチキンはもしかしたら出店するにあたってその国民感情を緩和させるために障害者を雇用しているのかもしれない。だけど彼らが働く場を、活躍できる場を与えられるのなら、それでもいいではないか。日本も障害者が働ける場をつくるべきと思う。
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by yukaashiya | 2013-02-25 23:27 | インド編 | Comments(2)

インド人の「ノープロブレム」

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インド人は、よく「ノープロブレム」という。インド到着の初日からそれに悩まされ続けて(?)きた

彼らにとってプロブレムかノープロブレムか、はたまた彼らの価値観においててプロブレムかノープロブレムか、判断の基準はそこにあり、我々客にとってプロブレムかノープロブレムかではないのだ。

最初は彼らの「ノープロブレム」にムッとし、そのうち笑うしかないと思うようになり、それでもそのうち限界が来て怒ることも出てくる。その繰り返しである。

Wifiが使えると聞いて予約したホテルで使えず、「機械が壊れているから。でもノープロブレム」。何がノープロブレムやねん。

ホットシャワーが出ない。その日は頻繁に停電があったから。おかげで水シャワーを震えながら浴びた。でも彼らは笑って言う「ノープロブレム」。

ある店で気に入ったシャツが売られていたが、汚れがついていた。それで要らないと言うと、「なぜ。ノープロブレムよ」と首を傾げる。

また別の店で気に入ったパンツはサイズがデカ過ぎ。でも彼らは「ノープロブレム」と微笑む。

たばこを買いに行ったらその店ではヘビーなタバコしか置いてなくて、それはわたしには強過ぎるというと、やはり彼らは「ノープロブレム」。

部屋にハンガーが一本しかなくて、洗濯物を干したかったわたしは「あと4本もってきて」。でもどのホテルでも注文通り持ってきてくれた試しがない。2本持ってきたスタッフに、これじゃ足りないと言うと、返ってきた言葉は「2本でノープロブレム」。

コルカタでの最終日。インドでキャンディを買う時はほとんど個数買いでそのたびに数を数えて購入するのだが、この日に20個をまとめ買い。個数を数え、お金を払い、そのあとにキャンディを鞄に入れていたら、掌から1つがこぼれ落ちた。足元の水たまりにポッチャン・・・うわぁぁん・・・と小さく嘆くと、店のオヤジは笑って「ノープロブレム」。


あんたにはノープロブレムでも、わたしにはプロブレムだっちゅうねん。


そう小さく日本語でつぶやいてみた。

オヤジはニコニコと笑ったままだった。
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by yukaashiya | 2013-02-23 00:13 | インド編 | Comments(0)

インド・たばこ事情

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インドのたばこはピンキリで、巻きたばこ1本から買える。歯に挟んでニコチンを吸収する噛みタバコもある。わたしはそれを注文したことがないが、お店の人に言えば目の前で調合(?)してくれるのだ。多分、1本あたり日本円にしたら数円だと思う。

インド人はカーッペッペッとよく道でツバを吐く。空気がそれほど澱んでいるいるからで、土ぼこりや排気ガスも大量だ。半日歩いていたら鼻くそが真っ黒になるぐらいである。だからインド人がのべつまくなしにペッペカ吐いているツバは空気のせいだと思っていた。なかには真っ赤な血のようなものを吐いている人も少なからずいて、わあ気の毒だなあと感じていた。ところがあとになって、それは「噛みタバコ」の色であることを知った。

ボックスタイプのタバコは2種類あって、「CLASSIC」と「GOLD FLAKE」。それぞれに3パターンのニコチンタールがあり、いずれも定価は116ルピー(約200円)。だけどお釣りをくれることは滅多にないし、基本的に一箱120ルピーと言われる。物価水準からすると、日本で数十円の価値があるにも関わらず、である。

わたしは最も軽い「CLASSIC GOLD」を吸っていた。ただ、地域によってはこれが全く売られていない。GOLD FLAKEのブルーボックスが次に軽いが、それも売られていない地域が多い。ある地域で仕方なくマルボロ・ライトを4つまとめて買った。パッケージのビニールには「DUTY FREE」(南アフリカ製)と印刷されていた。誰かが海外へ行った時に免税店で買ってきたのか、その地域のマルボロにはみんなその印刷がされていた。

ただ、どうもパッケージが古くさいような気がする。ビニール・ラッピングされているが、白い箱の淵の部分が少し黄ばんでいるように見えたのである。製造年月日などが印刷されていないからいつのものか分からないが、でも仕方ない。汚いとか古いとかインドで言い出したら、何も食べられないし何も飲めないし、何もできない。

そのマルボロ・ライトを2箱開け、2箱目がそろそろなくなるという時、何気なく取り出したタバコを見ると、葉の色が巻紙に滲み出している。ゲゲッ。これはやっぱ相当古いんじゃないか。そう思ってそれを捨て、もう一本のその箱から取り出してみると・・・なんと葉の部分にカビが生えている。ウギャ〜ッ・・・。残りの2箱も含め、ゴミ箱に投げ捨てた。わたしの肺は大丈夫だろうか。

のち、コルカタのタバコも売っている雑貨屋のお兄さんと話していると、どうもその「DUTY FREE・マルボロ・シリーズ」はかなり前にインドに入ってきてあちこちに出回ったものらしい。古くて質が悪いといい、彼らはいまインド製のマルボロしか扱っていないという。

わたしはあのマルボロ・ライトを買った店のいいカモだったのだろうか。いや、そんなことはないはずだ。4つまとめて買うといったらお店の人は喜んでくれてわざわざ新聞紙にくるみ、不織布のショッピング・バッグにまで入れてくれた。インドでは考えられないバッグだったので「Oh, It's a nice bag」と言ったら、お店の人は顔を真っ赤にして照れ笑いしていた。あの笑顔を持つ人がダマして売るなんて考えられない。人柄の良さを感じる笑顔だったからだ。


その後日、コルカタのショップで、肩や膝の冷えやすい母のためにストールを購入した。カシミアが入っているとお店の人から聞いた。値段はカシミアとは思えない値段だったが、インドにしたら高い値段だったので信用した。お店の人は半額にまで負けてくれた。

そのあと、別の店をブラブラ見ていると、そこのご主人の弟さんは日本人女性と結婚してインドと日本半々の生活をしているという。しばらくすると当人がやってきてあれこれ話し、さきほど別のお店で買ったストールの話題になると、彼は「その値段はカシミアじゃないね。モノを見せてみて」という。そして手にとって、「やっぱりこれはカシミアじゃない」と断言した。わたしは尋ねた「わたしはダマされたのかなあ」。

彼は首を横に振った。
「あなたはダマされていない。そのお店の人がカシミアを知らないだけ」
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by yukaashiya | 2013-02-22 23:19 | インド編 | Comments(8)

ダマされる人の8割はニホンジン

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インド南東部のチェンナイからインド入りしてちょうど60日。当初の予定を1週間繰り上げて21日にインドを脱出(?)、経由地のクアラルンプール(マレーシア)入りした。何度も来て慣れ親しんでいるクアラで癒されるあいだ、インドで感じたことやインドで聞きかじったことなどつらつら書いていこうと思う。

日本発行のインド旅行ガイドブック「C」には、ニューデリーの旅行会社でダマされることが多いと書いてある。そういう内容の投稿もいくつも載っている。なのにそのガイドブック片手にダマされる日本人が後を絶たないらしい。

アジェンタで出会った北から回って来た日本人女性によると、彼女がデリーで聞いただけでも2件、あったらしい。実際にかかるよりもかなり高額で鉄道などを含む移動や宿泊の契約をさせられたというもの。その2件とも、あとで高額過ぎると知って警察に相談し、5割以上の料金は手元に戻ったらしい。その話でおもしろかったのは、わたしはあくまでもまた聞きだが、現地警官によると「ダマされる8割は日本人、残りの2割は韓国人と中国人」というエピソード。白人はほとんどダマされていないのだ。しかも日本人はいいカモ。そしてその日本人たちは「自分だけはダマされないと思っていた」と異口同音にするらしい。

ただわたしなりに考えると、「ダマされた」というのはどうかと思う。無理矢理カードを切らされたとか、怖い思いをさせられて仕方なく払ったとかいうのなら理解できるが、彼らはそうではないのだ。旅行会社の人の話に乗って、自ら支払っているのである。それがあとでインドにしたら高額過ぎると知り、ダマされたといって警察に駆け込むのはおかしくないか。ぼったくりは、日本のツアーでもめちゃくちゃ多いじゃないか。それをインドだからといって「ダマされた」と被害妄想に陥るのはおかしい。

旅行に出る前にすべきこと。その国の歴史や文化をある程度は勉強していくのは当たり前だし、ツアーじゃなく自分で手配していく自由旅行ならなおのこと物価水準など調べていくのが当たり前。その上で支払ったのなら納得済みであるべきだし、あとは自己責任じゃないか。
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by yukaashiya | 2013-02-21 23:42 | インド編 | Comments(0)

ハルキ・ムラカミ

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今日、レストランで相席した女性から「ハルキ・ムラカミ(村上春樹)」の名前が出てびっくりした。その女性はノルウェイ人で、彼の本が好きだという。「ノルウェイの森」が翻訳されているのかもしれない。以前、どこの国でだったかやはり白人から「ハルキ・ムラカミ」の名前が出て驚いたことを思い出した。

わたし自身は数冊読んだことがあり、独特な世界を持った人だなあとは思うけれど特に気に入っている作家というわけではない。だが何人もの外国人から名前を耳にすると、世界的に有名なんだなあと恐れ入る。外国人と話す機会はかなり多いほうだと思うが、作家の話まですることは滅多になく、そんななかで出て来る名前だからである。

インドでは、アウランガーバードからアジェンタの石窟遺跡を観に行く日帰りツアーで一緒になった韓国人男性からも彼の話が出た。その韓国人男性は村上春樹の大ファンで、インド旅行に携えている本さえ彼の著書なのだと言っていた(英語翻訳)。


その韓国人男性とは「ヨンサマ」の話も出た。何年も前、日本で人気が沸騰している頃に韓国人の友人ともヨンサマの話になったことがあるが、「なぜ日本であんなに人気があるのか」と聞かれても、ヨンサマが好みじゃないわたしには答えようがない(笑)。5、6年前もヨンサマは自国・韓国で「名前は知られているけどたいした存在ではない俳優」であり、いま現在はメディアに露出することさえないそうだ。

何年か前にの友人が笑いながら言っていた一言を思い出す。

「ヨンサマハ、ニホンジンノオカゲデカネモチにナッタ」
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by yukaashiya | 2013-02-19 23:54 | インド編 | Comments(0)

インドでのレイプ事件

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今朝、コルカタへ到着した。ワラナシからダイレクトで向ってきた。

もともとの予定なら、仏陀が初めて説法をしたといわれているサールナートにワラナシから日帰りで行くつもりだった。だが体調が完全ではないし、ワラナシに着いた2日目の夜からワラナシを出発する日の朝まで雨が降り続けていたため、無理をしてまで行く必要はないと思った。

もともとの予定なら、ワラナシの次には仏陀が悟りを開いたといわれているブッダ・ガヤへ行くつもりだった。その鉄道切符は取得していたがガヤ到着は夜の9時半。ガヤからブッダ・ガヤまでの夜の移動は危険と聞いていたので、ガヤで1泊して翌日ブッダ・ガヤへ向い、ブッダ・ガヤでも一泊するつもりでいた。でもそれも体調を考慮して、いまの状態でわざわざ行くこともないと思った。鉄道切符も予約していたホテルも全てキャンセルした。

ふり返ると、キャンセルしたのはガヤからブッダ・ガヤの夜の移動が危険ということが、いつまでも頭にまとわりついているせいが大きかったように思う。ガヤで一泊するにしても、駅からホテルまでの移動はあるからだ。インドでは何かとストレスの溜まることが毎日のようにある。そこへレイプの危険のストレスまで溜め込むことはないと思った。

ガヤからブッダ・ガヤまでの夜の移動がなぜ危険といわれているか。距離は15km以上あり、オートリクシャで暗い夜道を約1時間かかる。これまでに二度も日本人女性が強姦の被害にあっている。届け出がされていないだけのほかの事件もあるかもしれない。

インドでは、現代でも自由恋愛は難しいそうだ。それだけに特に若い男性には性的に鬱屈したものがあるかもしれない。インド全土でのレイプ事件は、判明しているだけでも年間2万件に及ぶそうだ。
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by yukaashiya | 2013-02-18 22:00 | インド編 | Comments(0)

ヴァラナシ Varanasi in INDIA

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死者の遺灰を流し、輪廻転生を願うガンジス河(ガンガー)。子供の場合は遺体のまま底に沈めるという。そのすぐ横で衣服を河に浸す者、自ら河に入ってガンガーに抱かれようとする者など、さまざまだ。夕方には10数度まで気温の下がるこの時期、みんな震えながら沐浴する。

河から上がってきたヒンドゥ教徒に尋ねてみた。

ガンガーに入ることは重要なことですか。

彼は唇に微笑みを浮かべて力強く頷きながら言った「Most Important」。「母なる河ですから」。

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河沿いには84ものガート(沐浴場)があるという。そのうち半分を歩いてみた。河沿いにずっと歩けるのでそれぞれのガートの建物を見ながら歩くことができる。最も中央にあるのはダシャーシュワメード・ガートで、この地域の最も大きなバザール(商店街)がここから伸びているため、人々の集まってくる数も最も多い。

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日本のテレビや雑誌で見るガンジス河での沐浴風景は、そのシーンはまずここだろうと思われる。

来てみてわたしはガッカリした。想像とあまりにも違ったからだ。観光地化しているせいもあると思うがあまりに賑やかで、厳かさが漂っているわけでも独特な世界がそこに広がっているわけでもなかったからだ。たくさんのヒンドゥ教徒が入れ替わり立ち替わりやって来て沐浴する光景に偽りはないが僧の姿はほとんどなく(時間帯によるかもしれない)、そこに日本のテレビや雑誌で語っているような儀式のような荘厳さや哀愁はない。ヒンドゥ教徒にとってはもちろん神聖な場所であり彼らは厳粛な気持ちで沐浴している。彼らは何十時間もかけてわざわざ聖なる母に抱かれに来るのだから。が、教徒ではないわたしたちに、その気持ちを理解することはできない。理解できない以上、その厳粛さを認識することも難しい。テレビや雑誌に踊らされているだけだ。いや、もともとはあった静粛な雰囲気を、もしかしたらわたちたち観光客が壊してしまっているのかもしれない。

ただ、ネパールのパシュパティナート寺院はここを小型にしたようなもので同じような光景が広がっているがもっと厳粛で静謐な空気が流れているのを感じたことを覚えている。わたしはそこに夜真っ暗になるまで7、8時間も座り込んでいたものだが、ここガンガーでは10分もいたらもう十分だった。少なくともわたしは、ここでは何も感じることがなかった。

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ヴァラナシ・・・標準語のヒンディ語では「ワラナシ」と発音するそうだ。ここへは日本人観光客も多く来るようで、日本食もけっこう食べられることをガイドブックで知っていた。わたしが泊まったホテルから比較的近かったサンディヤ・ゲスト・ハウスへ行ってみる。オーナーの奥さんが日本人で、屋上にレストランがあると書かれていたからだ。行ってみると広島県出身でここで暮らして7年になるという「さやかさん」に会うことができた。とても穏やかで聡明な女性で、かつ親切。宿泊客ではないのに二日続けてお昼ご飯を食べに行ったわたしに、お客さんが置いていったものだけどと言いながらレインコートをくれた。昨夕からずっと雨が降り続いているのに周囲では売っておらず、困っているのを見かねたのだろう。最初に行った日にインドで体調を崩したことを話していたから、体を気遣ってくれもしたのだと思う。おかげでワラナシに着いてからは熱も上がらずに済んでいる。

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今日夕方、鉄道駅の予約センターへ行った。もともとの予定ではワラナシ→ガヤ(ブッダ・ガヤ)→コルカタの予定をガヤをすっ飛ばしてコルカタへ出てインドを脱出しようとしているわたしはまだその鉄道切符が取れていないからである。昨日、ホテルに頼んだら頼んだのと違う切符を買ってきてどうにもならん。さやかさん経由でSL(スリーパー・エアコンなしの3段ベッド)を確保してもらっているが、体のことを考えたらできるだけ2A(エアコン付き車輛の二段ベッド)で向いたい。

だけどけっきょく2Aは取れなかった。仕方ない。わたしのことよりも、カジュラホのホテルから駅までリクシャに同乗したスペイン人カップルが気の毒だった。偶然にも予約センターで再会し、話を聞いたところ、今日夕方の切符がウエイティングリストのまま取れず、その列車にはとうとう乗れず、次の列車にある「ジェネラル」車輛にトライするという。指定席無しのチェア・カーだ。列車が到着した途端に席の争奪戦が激しく始まる。外国人に席を確保するのは絶対に無理。だが彼らはこのあとハイデラバードにまず向かい、そのあとまた列車とバスを乗り継いで、恵まれない子供たちが属するNGO団体のボランティア活動に4日間、参加するのだといい、今夜発の鉄道に乗らなければその先の移動の全てがオジャンになってしまうのだ。

でも彼らは最後まで笑顔で「またいつかどこかで会えるよね」と微笑み、しかもわたしの体調のことを覚えていて気遣ってくれた。本当なら、彼らはわたしの体のことどころではないはず。絶対に横になることはおろか座ることさえできないであろう列車に、これから10時間以上揺られていくのだから。

わたしもいついかなる時でも彼らのように、心に余裕を持って人を気遣えるような人間でありたい(もとい、なりたい)。


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by yukaashiya | 2013-02-16 23:00 | インド編 | Comments(0)