カテゴリ:ポルトガル生活編( 22 )

マナーの悪いアジア人

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火曜日、古都トレドへ行って来た。画家エル・グレコが愛した街として、あまりにも有名な土地だ。1000年前から始まった要塞造りは13世紀〜16世紀に大きく改築されて現在の姿になったという。城壁を見上げた時、その堅牢さといくつもの門の美しさに思わずため息が出た。

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(約500年前に完成した大聖堂)

美しいものを見て歩いていると、それだけで心が和んでくるようだ。ただ、そんな時に限ってマナーの悪い人に出会うことが時折あり、がっかりさせられる。

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(「エル・グレコ美術館」には、彼の息子が描いた家族の絵も飾られている)

エル・グレコ美術館にはエル・グレコの作品をはじめとしてほかの画家の絵も展示されているのだが、ガラスの入っていない額縁の油絵を素手で触っていた20代半ばぐらいの人がいた。その女性が話していた言葉からすると韓国人だった。一緒にいた彼女の友人は注意もせず、笑っていた。

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(壮麗なファサードを持つサンタ・クルス美術館)

韓国人といえば、リスボンのベレン地区のエッグ・タルト発祥の店でも驚くことがあった。その店はすごく混み合っていて、新しく入ってきた客は席が空くのを立って待っているような状況だった。わたしもそうしてやっと空いた席に座ってコーヒーとエッグ・タルトを食したのだが、食べ終わらないうちに新しく入ってきたグループのうちの1人の女性が、わたしのテーブルにあったわたしの座っている真正面の椅子に手をかけ、体をわたしに向かせたままわたしのテーブルをキープした。相席をさせてくれというなら喜んでそうしたが、彼女はヘラヘラした表情でわたしが飲み食いを終えるのを見ながら待った。そんな状況で、誰がゆっくり食べられるものか。早々に席を立つと、彼女は他のテーブルを狙っていた彼女の友人たちを韓国語でそのテーブルへ呼び寄せた。

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(階段の彫刻も美しい)

エル・グレコ美術館では、もう1つあった。エル・グレコの作品などについて映像で紹介しているコーナーがあったのだが、そこではみんな段になったベンチもどきに腰掛けてそれを鑑賞していた。ところがそこへ年輩の男性がやってきて、映像の真ん前、つまりみんなが座って観ている前に立った。立って映像を鑑賞し出し、空いている席に座る気配もなければ立ち去る気配もない。そこで座っていた他の女性が英語で「座って頂けませんか」と声をかけると、その男性はそれを理解したのかしていないのか、わたしたち座っている人たちを振り返ってブスッとした表情を見せ、立ち去った。あとで家族らしき人と会話しているのを他のコーナーで見かけたが、言語は中国語だった。

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ただ、その日最もがっかりしたのは、日本人の女性親子だった。わたしが日本人だから、なお日本人にがっかりしたのかもしれないが、トレドからマドリッドに戻るバスでのこと。わたしの前の席に座った娘のほうは、座るなりシートを乱暴に倒してきた。もともと奥行きの狭いシートではあったものの、彼女のシートはコートを脱いだり鞄の整理をしていたわたしの足に思い切りぶつかり、その挙げ句、まだ動いていたわたしに気を悪くしたらしく母親らしき人に「後ろの人の足がぶつかってる」と文句を言い、母親のほうは立ってわざわざわたしの足元を見に来た。それだけでもびっくりしたが、「足はあたってなかったわよ」「あたってる」としばらく言い続けていたのにはうんざり。あれは、わたしが日本人だと分かってわざと言っていたのだろうか。

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ちなみにその親子が乗り込んで来た時バスはすでに満員状態になりつつある時で、わたしの前の席に1人で座っていた白人男性をその親子はほかの席へ移動させてまで並んで座りたがった。その白人男性は長い時間並んでやっと取った窓側席だったのに、その親子のために他の男性が座っていた隣の通路側席へ移動。その男性に対して日本人親子は首を縦にペコペコ振っただけで、お礼の言葉はなかった。この親子、マドリッドに着いて地下鉄駅でも何やら文句を言い合っているような親子だった。

日本には、しなくちゃいけないこととかすべきこととか、しちゃいけないこととかすべきでないこととか、そういう括りのことが多過ぎてうんざりする。だけど、世界共通の最低限のマナーは確かに存在し、それは守るのが人としてあたりまえだ。

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こんなふうに、ここのところ礼儀に欠けた人に続けて遭遇している。振り返れば、リスボンの家主レイチェルもちょっと気配りに不足した人だった。こちらは光熱費を含んだ家賃を払っているのに、キッチンの湯沸かし器は壊れたままで彼女にそれを修理する気はなく、わたしは1ヶ月間、冷たい水で食器を洗い続けた(彼女自身は週に2度来るクリーナーに洗わせるので冷たい水を使わない)。わたしの滞在中に彼らは2度出張に出、2度目の時には彼らのいないあいだわたしが猫ウオッカのエサと水やりをするのが当たり前になっていた。ウオッカがわたしのPCのアダプタを引っ掻いて壊した時、弁償しないどころか謝罪の言葉も一言もなかった。

人柄は決して悪くなかっただけに、なおさら残念だった。
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by yukaashiya | 2015-02-20 07:37 | ポルトガル生活編 | Comments(2)

リスボンの、この木なんの木気になる木

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(葉に落書きというのも珍しい)

他国へ行くと、日本では見たことのないような植物や樹々を目にすることがけっこうある。リスボンでも幾度かそういうことがあった。

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いそぎんちゃんを連想させるような木や

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一見ふつうだけど、よくよく見るとおどろおどろしい木。なぜなら枝が、地面に向って垂れるようにして生えている。

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こちらは近くのカフェのお兄さんに撮影をわざと邪魔されたが(笑)、岩に生えているのか根元が岩のような形をしているのかよく分からない木。↓
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これはシントラで見た木・・よその国(欧州域)でも見たことがあるような気がする。

ついでに、おもしろ剪定も・・以下は昨年の春にオーストリア・ウィーンのシェーンブルン宮殿の庭園での風景だ。
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この剪定も

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この剪定も見たことがない。特にこちらは最初、剪定だとは思えずに一体どうすればこんなふうに葉が生えるのだろうと木の周りをぐるぐる見て回ってしまったぐらい不思議だった(笑)。写真ではその不思議さが分かりにくいかもしれないが、下の写真ならもっと分かりやすいかも。

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まるで巨大な緑のパネルを置いているかのように、遊歩道側だけに葉があるような、そして角を角張らせて剪定しているのだ。反対側の枝を切り落としているににしても、こう見事につい立てのようにカットできるもんなんだろうか。職人さんの技に脱帽。
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by yukaashiya | 2015-02-12 08:54 | ポルトガル生活編 | Comments(0)

欧州での「クリーナー」の存在

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リスボンでの家主のレイチェルは所得税を55%収めていると言っていたから、相当収入が多いのだろう。といってもポルトガルの所得税の水準を知らないので断言はできないけれど。ちなみにたとえばイギリスの所得税は最低ラインが20%(日本の最低所得税は10%)である。

そんなイギリスでもポルトガルでも他の国でも、欧州では「クリーナー」を雇っている家庭がけっこうある。日本でいうところの「家事代行」みたいなもので、日本だとコースによってしてくれる内容が細分化されているようだが、欧州ではいままで見てきた印象だとそういう括りはないようである。

リスボンでの家でも、マリアという南アフリカ出身の女性に週に2回来てもらっていた。マリアはもともと富裕な家で通いで家政婦をしていたらしいが、その家のご主人が亡くなって現在は3件の家を週に2回ずつ掛け持ちしているらしい。掃除もするし洗濯やアイロン、花の手入れ、猫のトイレの始末、洗剤などがなくなっていればその買い物など、1回につき4時間働くなかでできることは何でもする。実に臨機応変である。たまたま1ヶ月分を清算した紙がキッチンに置かれているのを見てしまったのだが(笑)、1時間あたり6.5ユーロのようだった。めちゃくちゃ安い。日本円にすると900円弱で、でも現地の人からすると650円の感覚なのだから、そりゃ頼みやすいだろう。

これまで滞在したことのあるイギリスの家庭でも3件でクリーナーを雇っていた。1回あたりおおむね3〜4時間で、£20〜£40。家の広さとか掃除する人の経験とかあるいは交渉次第とか、設定の仕方はいろいろあるのだろう。ちなみに£20のケースは独り者の会社員男性で、1フロアに2寝室、キッチン、リビング・ダイニング、バス・ルーム、シャワー・ルーム、パティオ付きの広さの家。

£40の家は年輩の女性の一人暮らしだが、3フロアに3寝室、キッチン、広めのダイニング・ルーム、広いリビングルーム、バス・ルーム、シャワー・ルーム、洗濯室、パティオなどがあるそれなりの大きさの家で、月に4回か5回来てもらって£200を払っているのだと言っていた。また、この価格は、かなりいい条件らしい。現在のレートで日本円に換算すると1時間あたり1800円になるが、当地の人の価値からすると1000円ぐらいの感覚だ。

日本は1時間あたり最低で3000円ぐらいするから、そう安々とは頼めないだろう。もっともそれは企業が仲介しているからその値段になるのであって、対個人であればその半額ぐらいにはなるかもしれない。

ちなみに欧州でクリーナーをしている人はマリアのようにずっとその仕事をしているプロフェッショナルもいれば、主婦が友人・知人の紹介などでしているケースもあるようだ。日本でももっと支払いやすい値段になれば、クリーナーを頼んで主婦が働きに出られるとか趣味に没頭できるとか、その人にとってもっと有効な時間の使い方ができるようになるんじゃないだろうか。

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(リスボンでの家主レイチェルとルイ)
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by yukaashiya | 2015-02-11 08:58 | ポルトガル生活編 | Comments(0)

リスボンでおススメのお店

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以前は甘いものなどほとんど口にしなかったのに、欧州暮らしを始めてからずいぶん食べるようになった。また、わたしはお店やレストランの行列に並ぶのを苦手としてきたが、ポルトガルといえば日本人にも馴染みのあるエッグ・タルト。その発祥の店「Pasteis de Belem」(1837年創業)がベレン地区のジェロニモス修道院のすぐ近くにあったので、並んでみることにした。

実はこの行列、店舗の中で食べるにしても持ち帰るにしても、まずレジでパンやエッグタルトを購入するシステムがとられていてそのための行列なのだった。だから案外早くレジに辿り着く。ここでコーヒーを食しながら食べたい人は、店の奥へどうぞ。テーブル席がたくさんある(飲み物はテーブルで注文する)。

味は、マカオも含めてどこで食べたエッグ・タルトよりも美味しかった。生地といいクリームの上品な味わいといい、カジュアルなお菓子ながら一流レストランの食後に出しても恥ずかしくないぐらいのレベルだった。おススメの食べ方としては、温かいエッグタルトに、粉砂糖とシナモンをふりかけてもらうといい。

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カフェで有名なのはバイシャ地区の「ブラジレイア」で確かに店の中の装飾は歴史を感じさせて素敵だったが、向って右隣(1、2件先)にあるカフェ(写真)もなかなかだった。カプチーノとパンとエッグタルトを注文したのだが、パンまでフォークとナイフを使って食す。けど、肩が凝る店ではない。ブラジレイアはいつも観光客で混み合っているし味はたいして変わらないので、静かにゆったりした時間を過ごしたい人はこちらへどうぞ。

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レストランでおススメなのは「Brasserie CHIAD」。家主のレイチェルから晩ご飯を食べに行こうと誘われて、彼女が連れて行ってくれたお店。ここの牛肉ステーキでバジリコがたっぷり入ったソースがかけられているメニューがおススメ。お皿も温めて出してくれて、たっぷりのお肉はスライスした状態でお店の人が大きなお皿に持ってきて取り分けてくれる。いっぺんに全部を皿に分けてしまうのではなく、残りを火で温め続ける状態でテーブルに置いてくれる心配りも嬉しい。お肉は日本人の口に合う柔らかさと味わいがあった。そのうえポテトは食べ放題レベル(笑)。最初に出て来るパンとそれに付けるクリームもかなりイケる。

予算でいうと、わたしたちは、このステーキと、サーモン・サラダ、グラスワイン、エスプレッソをオーダーして1人あたり約40ユーロ。ちなみにこのレストラン、入り口付近の席は喫煙できるらしい(!)。人気店なので、あらかじめ予約しておくことをおススメする。場所はカフェ・ブラジレイラ近くの「Rua do Alecrim」をテージョ川方向へ坂道を下る途中の右手。

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もう1つのおススメは、お店ではなく路面電車「28番」沿いの散策。この路線は観光で使うことになるだろうが、サン・ヴィンセンテ・デ・フォーラ教会から市中心部へ戻って来る時、この路線沿いを歩くといい。なかなか風情があるし、坂はほとんど下りになるし(逆方向は上りがきつい)、小洒落たお店があったりする。下の写真はいわば土産物屋なのだが、店の造り自体とてもお洒落だし、ここにしかない商品がたくさんある。この店まで来ると、サン・アントニオ教会にじきに辿り着く。

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by yukaashiya | 2015-02-09 05:37 | ポルトガル生活編 | Comments(2)

情けをかけた代償

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<1755年のリスボン大地震で大部分が崩壊したカルモ教会>

フリー・カメラマンのシリア渡航が政府によって止められ、パスポートの没収までされたとニュース・サイトで読んだ。おそらくフリーランスだからだろう。だがどの国からのジャーナリストやカメラマンも、戦地に赴いているのはたいがいフリーランスのはずだ。ということは、「危険」とされる国・地域の情報は今後、他国のジャーナリストを経由してしか入ってこないことになる。果たしてそれでいいのだろうか。

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<カルモ教会内部/現在は博物館>

政府はまた、海外在住の日本人にSMSで危険情報を発信すると発表したようだが、どうして在住先の国が限定されるのだろう。少数しか在住していない国にいる日本人はどうでもいいということか。まさかそんなことはないだろうが、日本の政府の考えていることはどうも分からない。

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<美しい装飾の棺。オーストリアの女王マリア・アナの棺と書かれているのでなぜそれがここにあるのかと調べると、彼女はオーストリアの大公妃でありポルトガルの王妃でもあったのだった>

そんな今日、PCの充電ができなくなった。本来なら電気が点く充電アダプタにそれが灯らず、PC側にも電気が流れていない。わたしのPCはマックブック・エアで、家主のレイチェルたちもマックを使っているので充電器を借りて繋いでみると、電気が流れた。パソコン本体が故障したのでないことはこれで証明できホッとしたものの、充電できなければPCは使えないわけで、少々焦る。

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<ポルトガル王の棺も実に芸術的だった>

レイチェルがアップル・ストアへ連れて行ってくれるというので一緒に行き、念のため店で繋いでみると何と繋がるではないか。そこでコードをじっくり見ると、なんとコードの2カ所に引っかき傷のようなものがあり、中の配線が見えてしまっている。これが原因で接触不良のようなものを起こしていたわけだ。

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<この博物館には膝を抱えた格好をしている二体のミイラも展示されている>

傷を見て分かったのだが、「犯人」は猫のウオッカだった。猫そのものは好きだが毛が気管に入るのがイヤでわたしの寝室には入れないようにしていたのだが、レイチェルもルイも仕事とそれに伴う出張などでウオッカをほとんど構ってあげられず、この1ヶ月足らずでウオッカはわたしにやたらとくっついてくるようになった。レイチェルとルイがいない時はリビングやキッチンで悲しそうな声を出して泣くし、ウオッカに対する情がわたしにはすでに湧いてしまっているので、ほだされてたまにわたしの部屋に入れていた。つい昨日も入れてあげたところだったので、昨日やられたのだろう。

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コードが2カ所も破れたままで中の配線も一部切れかけていたので、やむなく新しい充電アダプターを購入。ポルトガルでは付加価値税が23%かかるので、79ユーロ。これって、日本で購入するより30%ぐらい高いやん(涙)。

ああうう・・・ウオッカに情けをかけたばかりに€79。これはイタい。それでも全世界で販売され正規代理店があるマックだから、確かな純正品をすぐに手にいれられたのだから、不幸中の幸いというべきか。

帰宅すると、ウオッカが歓んで足にまとわりついてきた。わたしが「ウオッカ、キミがやったんでしょ」とちょっとキツイ口調で言うと、ウオッカは瞳を丸くしてきょとんとしていた。

ああやっぱ可愛い・・・。
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by yukaashiya | 2015-02-08 04:19 | ポルトガル生活編 | Comments(4)

ポルトガルに残る日本人の足跡

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<リスボンの国立古美術館に展示されている地図の日本の部分。1641年に描かれたもの>

ポルトガルの面積は日本の約4分の1、人口にいたっては約10分の1である。それが現在のものであってじゃあ日本と貿易をしていた頃はどうだったかというとそれはわたしには分からないが、少なくともそれほど小さな国からヴァスコダ・ガマのような人が出て大航海へと繋がっていったのは尊敬に値すべきことである。

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リスボンの国立古美術館には「Namban jin」(南蛮人)と題した、日本人が描いた立派な屏風がある。

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黒船に乗ったポルトガル人が、インドのゴア(ポルトガルの植民地だった)から日本へ来航・・・キャプションを見て首を傾げたのは、そこに「南からのバーバリアン」とあり、カッコ書きで「ポルトガル人として知られている」と記されていたからだ。バーバリアンといえば日本では「野蛮」という意味で使われることが多いが、欧州では国や人によって捉え方が違う。ここでのバーバリアンはおそらく「野蛮人」という意味ではないだろうが、このキャプションはどういう意味からこういう説明の仕方をしているのだろうか。こういうところに大使館などが手を貸して、日本人が理解できるようにしておいて欲しいものである。

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愉快だったのは、この絵に見られる日本人とポルトガル人の鼻の高さの違い。日本人の鼻がやたら低くて丸いし、ポルトガル人の顔はまるでキツネのようで(笑)、当時の日本人からすると白人の鼻の高さは異様に映ったのかもしれないと想像してみる。

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こちらは、イエズス会の「サン・ロッケ教会」の内部である。1584年、マカオやマラッカ、インドのゴアを経てリスボンへやってきた伊東マンショら日本の天正遣欧少年使節はここで約1ヶ月を過ごしたんだそうだ。ここは1755年の大地震の時に正面のファサードが壊れてしまったらしいが、内部は昔のままのようである。天井が木の板でそこに天井画が描かれている珍しいタイプの教会だ。

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芸術的価値の高い教会でもあるのだが、わたしは少々不気味に感じた部分がある。たとえばこのイエスを中心とした彫刻を、よくよく見て欲しい。一体何体が彫られているのか、天使がわんさかいるのである。

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こちらにも・・・。

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こっちはもっと不気味・・なんて言っちゃいけないんだろうけれど・・きっと意味があるんだろうけど、使節少年たちはどう思ったろうか。

さて、なぜ不気味か分かるかな。
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by yukaashiya | 2015-02-07 09:36 | ポルトガル生活編 | Comments(0)

リスボンの白と黒の石畳

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<白と黒の石で帆船が描かれているポンパル公爵広場/ガイドブックには地下からしかこの広場へ行けないと書いてあるが、横断歩道を渡って行ける>

リスボンの街を最も彩っているのは、白と黒の石畳だろう。街中にこれほど残っているのは欧州でも珍しいぐらい石畳が多い。石畳が多いから強く雨が降った日はけっこうその音がうるさいし歩いていると足がとても疲れるが、車が石畳の上を走る音は風情があっていいし、急な坂道を上る時、足裏で石を掴むようにして歩けるので便利でもある。

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植民地だったマカオでは海の生き物が石畳に描かれているケースが多かったように記憶しているが、ここリスボンでは花や帆船などさまざまなものが描かれている。全て職人の手作業によるものらしい。

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よくよく見ながら歩いていると、場所によっては模様の合わせ目で形をきちんと揃えているところがある。そうでないところもあるし全部そうできないのは当然のことだろうが、合わせている部分は職人のこだわりだろうか。てなことを考えて歩いていると、中世の時代の職人が楽しみながら石畳を貼り合わせている姿がまぶたの裏に浮かんできそうである。

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<横断歩道まで!>
白い石は石灰岩で、黒い石は玄武岩だそうで、リオデジャネイロやルアンダ、ニューヨークにあるこのような石畳はリスボンの石畳を真似て作られているらしい。

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<ロシオ広場>

ガイドブックには「リスボンの守護聖人サン・ヴィンセンテが1173年に2羽のカラスに守られて運ばれたことに基づき、黒は死とカラスを、白はサン・ヴィンセンテの純粋性を象徴している。この二色はリスボンのシンボル・カラー」と書かれているが、これも少々矛盾がある。

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そもそも、サン・ヴィンセンテが亡くなったのは304年。カラスが野生動物から死んだサン・ヴィンセンテの体を護ったのは伝説として間違いないようだが、1173年に行われたことは初代王のアフォンソ・エンリケが発掘されたサン・ヴィンセンテのボディ(遺骨か)を船でリスボンのサン・ヴィンセンテ・デ・フォーラ修道院へ運んだことであり、その時も2羽のカラスがサン・ヴィンセンテの遺骨とともに旅をし、いまも墓を護り続けているという。この帆船にはその2羽のカラスが描かれている。

ちなみに、黒と白の意味やそれがリスボンのシンボル・カラーであるとしたガイドブックに書かれているようなことを調べてはみたが、少なくともわたしは見つけられなかった。リスボンの街を象徴するような石畳にそのような伝説が本当にあるのなら、容易に見つけられるはずなのだが。

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<シアード地区にある詩人フェルナンド・ペソアの像>
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by yukaashiya | 2015-02-06 05:56 | ポルトガル生活編 | Comments(0)

海外発祥でも日本だけの習慣

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もうすぐバレンタイン・デーだ。かつてこの日に結婚式を挙げその後離婚したわたしとしては、1年のうち最も苦々しい日である(笑)。

日本では「好きな男性に女性から告白できる日」として定着しているしそれが日本が勝手に作り上げた風習であることも、ほとんどの人が知っているだろう。そして「贈り物」をしたりされたりすることが好きな日本人は、愛を微塵も感じていない職場の人々へも持って行かなきゃいけなかったりする(笑)。もらったほうはホワイト・デーなるこれまた日本が勝手に作り上げた男性からの「お返しデー」に何か見繕ってプレゼントを贈る。そしてわたしのように、そんな心のこもってないものを上げるのももらうのも面倒がるタイプは「変わった人」という言葉で片付けられる。あとで色々言われるのがメンドーでわたしも用意した時期もあったけど、長くは続かなかった(笑)。

欧州でのバレンタインは男女の区別なく内容もシンプル。すでにつきあっている相手にも「ハッピー・バレンタイン」と言うし、贈り物をする場合でもカードや花、ケーキだったりする。

もっとも、カードを贈る文化はこちらでは日常のこととして発達していて、特にイギリスには街中に多くのカード専門店があるほどだ。そしてカードも「ギフト」になり得るモノなのだ。

また、日本のバレンタインの贈り物がチョコになったのはどうやらイギリスが起源らしいが、イギリスで売られているチョコの種類はスーパーでさえとても多く、チョコを贈り物に使うのはバレンタインに限らない。とはいっても、美味しくてお洒落でリーズナブルなチョコがたくさんあって、日本のように「それなりの値段をかけなきゃいけない」ということがない。

花だって、大きな花束を贈らずとも、ブーケでも十分に歓ばれる。わたしが最も驚いたのはエリザベス二世女王の即位60周年の時。パレードからバッキンガム宮殿へ戻ってきた時だったと記憶しているが、女王が宮殿へ入ろうと扉へ向った時、そこに立っていた宮殿スタッフの1人(若い女性)が可愛いブーケを何か言いながら女王へ手渡した。おそらくお祝いの言葉だったのだろうが、女王はその小さなブーケを手にした時その日一番と言っていいぐらいの笑顔を見せ、立ち止まって女性スタッフのほうへちゃんと向いて立ち、言葉を交わし始めた。それは女王がテレビカメラにお尻を向ける格好となったが、誰もがそのシーンを気持ちよく見ていたはずだ。

それとは逆にがっかりしたのが、ロンドン・オリンピックのとある競技の表彰式の時。表彰台に立ったある日本人選手は小さなブーケを手渡された時、笑顔にならなかっただけでなく、そのブーケをくるくるひっくり返して眺め回していた。彼のその時の表情からは「メダル取ったのにこんな小さな花かい」という言葉が聞こえてきそうで、同じ日本人としてとても恥ずかしかった。

贈り物は大きければいいというものでも高ければいいというものでもない。まずは贈り主の心がこもっていることが大事で、心が込められないなら贈らなければいいし、もらう人は受け取るならその心をもきちんと受け取るべきだ。そんな考えを持っているわたしはだから義理チョコなんてやめてしまえと思うものの、いっぽうでは「年に一度、職場のみんなにお礼がしたいの」という人の気持ちを否定する気もない。

いずれにしろ、ことあるごとに贈り物をしなきゃいけない日本はメンドクサイね。

もらうのは・・・嬉しいけどね(笑)。
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by yukaashiya | 2015-02-05 10:03 | ポルトガル生活編 | Comments(0)

欧州での歴史の学び方

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(ベレン地区にあるジェロニモス修道院の回廊)

土曜の朝から家主のレイチェルとルイはポルト(ポルトガル北部)へ出張に出かけた。彼らの愛猫ウオッカは寂しがって、わたしに何かと話しかけてくる。朝起きて寝室を出るとそこにはウオッカが待っていて、キッチンへ行こうと誘ってくる。自分で行けるはずなのに、1人で食べるのが寂しいのだろう。シャワーを浴びているあいだなぞ扉の外で待っていて、それもまた愛らしい。

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そんなだからウオッカを1人(1匹)置いて出かけるのは気が引けたが、レイチェルらが戻るのは月曜の夜。3日間も家でジッとしているわけにも行かず、それに日曜(月の第一日曜のみ)はジェロニモス修道院の回廊やベレンの塔の入場料が無料になる。それぞれ€10だからバカにできない金額で、いそいそと(笑)路面電車(No.15/バスでもNo.15)に乗って行ってきた。

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来た甲斐あって、壮麗な彫刻が施された回廊だった。ただ、ここで最も印象に残ったのは、特別展示イベントだった。

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(これはベレンの塔)

というのも、記念事業としてジェロニモス修道院の成り立ちが大きな円形の年表にして展示されており、それと同時に、ポルトガルの歴史、世界の歴史と、三段に分けて展示されていたのだ。ジェロニモス修道院が建った頃には世界ではこんなことが起こり・・というようなことが、一見して分かるように表示されていたのである。第二次世界大戦の時代の世界史部分は、日本の真珠湾攻撃がまず書かれていた(愚かで恥ずかしい歴史である)。

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(ベレンの塔の屋上から見た風景。目の前はテージョ川)

その年表はとても分かりやすく、それでふと思ったのが日本の学校での歴史の学び方。日本では日本史と世界史を別々に学ぶが、それだと年号を覚えにくいタイプの人には時代がリンクしない不都合がある。

欧州では自国と世界というふうには分けず、自国を含めた欧州全体の歴史という形で学ぶと聞いたことがある。それってすごくいい方法じゃないだろうか。ついでに地理もそこへ組み込めば、もっとおもしろい授業になりそうだ。

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(テージョ川を進む帆船に、タイムトリップした気分を味わえた)
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by yukaashiya | 2015-02-03 09:25 | ポルトガル生活編 | Comments(0)

失わずに済んだはずの命

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湯川遥菜さんに続いて後藤健二さんも、イスラム国に非道な手段で殺害されてしまった。

彼らの命は、失わずに済んだはずの命だった。

わたしはそう思っている。
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by yukaashiya | 2015-02-02 22:03 | ポルトガル生活編 | Comments(0)