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450年のときを超えて

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先週はずっと天気が悪く、ストラトフォード・アポン・エイヴォンへ行った木曜もそうだった。ロンドンの高級住宅地の1つとして知られるエリアにあるマリルボン駅から鉄道で約2時間、ここはシェークスピアの生まれた街であり、亡くなった土地でもある。駅前こそひっそりとしているものの、街中へ入って驚いた。けっこうな観光客の数と、美しい街並み。なかには300年、400年経っているだろうと思われる家屋もある。シェークスピアの生家や妻の家、彼らの娘たちの家なども現在にその姿を留めている。今年はシェークスピア生誕450年。次の節目の500年の時にわたしはおそらく生きていないだろうし、生きていたとしても絶対に来れないってんで(笑)、今年やって来たわけだ。

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これはシェークスピアが眠る墓で、上の写真の運河沿いに見える教会の内部にある。教会トリニティ・チャーチは1210年に建てられたものだといい、信者が祈りを捧げるこの重要な場所に墓があること自体、まるで国王級の扱いではないか。それに加えて街並みの美しさ、賑やかさは、シェークスピアがこの地で誕生し没した地でもあるからに他ならない。いや、もしシェークスピアがここで生死を迎えていなくとも街は美しかったかもしれない。だけどその美しさは、シェークスピアがここで生まれ育ったからこそ観光客に知られるところとなり、この街の華やぎはやはりシェークスピアがこの世に存在したからである。

世界的に著名な文豪とはいえ、たった1人のオトコがここに生き、この街を愛し、この地で最期を迎えた。彼がいたからこそ、この街も“生きて”いる。450年ものあいだ、その色彩を失わないままに、だ。街がその1人のオトコとともに生きているし、そのオトコは死んで400年が経っても街とともに生き続けている。そんな街が、世界に一体どれぐらいあるだろう。ほんの一握りに違いない。

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教会にはシェークスピアの胸像もある。手にしている羽根ペンは、毎年彼の誕生日(と語り継がれている日かつ命日でもある日)に新しいものと取り替えられるんだそうだ。

彼が未来永劫、文章を綴り続けられるように。
by yukaashiya | 2014-09-01 07:28 | 英国生活編


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