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to be or not to be

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彼には「モンキー」のニックネームがついている。確かに、よく似ている(笑)。来た当初はかなりワルくて言うことを全然聞かなかったらしいが、いまではすっかり素直な子になったそうだ。それでも夕方から始まる「お祈り」の時間帯、一人だけ口を動かさずにみんなの動きをただジーッと見ているだけの時がある。

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お祈りは、彼らが自発的に始める。それもエライと思うが、学校から帰るとすぐにみんな宿題などを始めるのには目を見張った。遊びたい盛りのはずだが、「すべきこと」をしてから遊べばいい。その規律がここでは全てにおいてちゃんと守られている。協調性も抜群である。

基本的な宗教はヒンドゥで、子供の家を始めたラムラム爺さんがヒンドゥ信者だったからだ。故ラムラムさんがこの地へやって来て生活を始めた洞窟が、いまはラムラム子供の家の敷地内の寺院になっているし、男の子たちはこの寺院の中で寝る。

お祈りにはわたしも参加させてもらったが、たくさんのお経(?)を彼らは実によく覚えている。わたしは言葉そのものが分からないため合いの手のような部分だけ参加させてもらい、太鼓を叩くリズムに合わせて手拍子を打たせてもらった。

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この二人はラムラムの家の中でも仲良しで、いつも一緒にいる。詳しい経緯は知らないが、二人一緒にここへやってきたらしい。向って左手の子は名前を覚えていないが(インド人の名前はほとんどが長いうえ、“音”が日本にはない発音なので覚えにくい)、秘かに「マルコメミソ」と名付けておいた(笑)。

向って右手はディクシートという14歳の男の子で、最初のうちは時折見せる暗い瞳が気になったものの、わたしとはやけに気が合って仲良くなった。お祈りの合いの手や、祠でのお祈りの仕方を教えてくれたのは彼である。彼も自制心の強い子で、鞄に入っていたアルミケース入りの飴をほかの子が目ざとく見つけると、それは彼女(わたし)のだからダメだとか、そのあと空になったアルミケースをまた別の子が欲しがるとそれを制していた。きっと、彼自身だって欲しかったに違いないのに。

わたしたちが仲良くなったきっかけは、タバコだった。鞄に入れているのを見て、「吸ってみて」という。好奇心からだろう。それ以降、彼はわたしのことを「スモーキング・アンティ」と呼ぶようになった。どうやら「スモーキングおばさん」と言う意味らしい。初めてそう呼ばれた時に「アンティ」とはどういう意味かと尋ねると、彼は慌てた様子で「スモーキング・シスター」と呼び替えたが、次の日からはまた「アンティ」に戻った。

2日目のお祈りが終わった頃、彼がわたしにいつまでここにいるかと聞く。明日には離れるというと、寂しそうな顔をしてくれたのがわたし自身は嬉しかった。本当は、子供にそんな思いをさせちゃいけないし、それを喜ぶなんてもってのほかだけど、だけどたった二日間過ごしただけでいなくなるのを寂しく思ってくれるなんて、素直に嬉しい。

それが原因かどうか分からないが、そのあとみんなで晩ご飯を食べるためにキッチン・ダイニングへ移動すると、彼がいつも仲良くしているマルコメミソのしたことに何やらいちゃもんをつけたらしい。マルコメミソはそのうち泣き出し、その喧嘩を止めたのはサラサワーティさんの息子である。

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(サラサワーティさんと息子)
サラサワーティさんはこの施設の出身者で離婚したためここへ戻り、いまは自分の子供も含めてみんなの世話をしている。規律正しい人で、その息子もかなりしっかりしており、子供たちのボス的存在だ。

サラサワーティさんはみんなの本当のお姉さんのように深い愛情で彼らを育てていて、料理もすごく上手い。インドに来て初めてインド料理ってこんなに美味しかったんだと感激したぐらい美味しい。料理上手な彼女はもうすぐ日本へ2、3ヶ月の予定で「おやき」の作り方を習いに長野県へ行くそうだ。それをインド風にアレンジして商売にしたい考えを持っている。ラムラム子供の家の運営の基盤を強固にするためである。彼女は外国へ行くのも初めてなら、飛行機に乗るのも初めて。いろんな意味で不安と期待を抱えながら来日する。もし見かけるようなことがあったら、温かい言葉をかけてあげて欲しい。

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話をディクシートに戻そう。彼は注意されたあとご飯も食べずに寝床のある寺院へ行ってしまった。あとで覗きに行くと、毛布にくるまってフテ寝している。サラサワーティさんの息子が大丈夫だというのでわたしも自分の部屋へ戻って休んだのだが、翌日の夕方、学校から戻ってきたディクシートが荷造りをしていたわたしの部屋へやってきてくれた。ノックと同時に「スモーキング・アンティ」と呼ぶ声で、彼と分かった。彼は下校してきたばかりで、わたしがまだいると分かって尋ねてきてくれたようだ。

そんな彼に、使いさしだったけどバンガロールで取材用に買ったメモ帳をあげた。メモ帳さえ初めて見るものだったようで、「これは何」「もらってもいいの」「アンティは使わないの」と聞いてくる。良かったら使ってと言うと、大事そうに両手の掌でメモ帳を包むようにして持ち「ありがとう」と言った。


ラムラム子供の家を離れたのは、3日目の夜。子供たちは晩ご飯中だったが見送りに出てくれて、まるで「うるるん滞在記」のようなシーンだった。

でもあとから考えてみて、こうして施設を訪れることがいいことかどうなのか分からなくなった。わたしのようにたった数日間や長い人で2、3ヶ月の滞在。寄付のような形でチェンナイで泊まった中級クラスのホテル代金と同じ額を置いてきてそれは少しでも施設の運営に役に立つかもしれないが、 その間に生まれた子供たちとの心の交流はそれで途切れてしまい、かえって寂しい思いを繰り返させるだけじゃないかと思う。だって彼らは親に捨てられた、あるいは経済的な理由からここへ預けられた子供たち。いくらヴィノダさんやサラサワーティさんたちが愛情一杯に育てているにしても、何度も何度も「サヨナラ」を繰り返させるのは酷なような気がちらりとしたのだ。

でも、それを突き詰めて考えるのはよそう。わたしは行って楽しかったし、子供たちは外国人との交流に笑顔を見せてくれた。それでいいじゃないか。それに子供たちはそんなにヤワじゃないとも思う。

ディクシートが「次はいつ来てくれるの」と聞いてきた。わたしはできない約束をしたくないので、分からないと答えた。

でもこれだけは断言できる。もう二度と会うことはないかもしれないが、「正しく」育てられている彼らがいずれ大人になって巣立って行く日は、親元で育てられている一般的な子供たちの将来よりもずっと待ち遠しい。

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by yukaashiya | 2013-01-11 23:18 | インド編


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